それだけ芯材は頑丈に作られていたということでしょう。また、すり減ることを想定した設計になっていたとも言えます。メンテナンスまでを考えた構造になっているのはすごいですね。漆を塗ると 1 本の木から出来たようにすら見えます。
しかし、車輪を実際に 1 本の木でつくってしまうと(まずそんな大きな木はありませんが)衝撃などが全体に伝わってしまうため、挺子の効きが悪くなるだろうというお話でした。
あまり知られていませんが、享保年間では車輪の直径が 3 尺 (90cm)、幅 が 1 尺 5 寸 (45cm) で、今の半分も高さがありませんでした。江戸中・後期ぐらいから現在の大きさに近くなったそうです。写真の説明が飛んでしまいましたが、現場に転がっていたものを写してきただけなので皆目説明できません。おわかりの方がいらっしゃいましたらご連絡下さい。日が変ってすでに磨きが終っていました。
上塗りを削っていますので、すぐに地塗りが見え、どこをどう削ったかがすぐにわかりますね。また、この前ほど光沢がないので表面全体も磨いたのでしょうか。現場にいなかったので状況がつかめません。
その隣で心棒を製作していたので御邪魔してきました。こちらがまた大きくなり、本当に七尾の道幅いっぱいいっぱいの設計です。今年からは挺子衆の作業も大変ですね。
近寄って見るとこんな感じです。お祭りで使う時には油でベタベタなのであまり良く見たことがありませんでしたが、色々と仕掛けがありますね。なんだかんだでお祭りが近くなってきた感じがします。